乗り越えねばならない出来事・・・。

こんにちは、アーチビブログです。
しばらくブログ更新が滞っておりましたが、書けない理由がありました。

元気一杯で、メチャメチャしっかり者だった妻の母が、突然、本当に突然。
他界してしまいました・・・。

呆然自失・・・。

妻の悲しみは計り知れません・・・。

気丈に振舞いつつ時折涙を流す妻を見ていると、ブログ更新どころではなくなりました。

こういう状況に向き合わないで今後明るい記事が書けるはずはなく、「いっそのことブログ更新を止めてしまうか」と思った時、「この様な悲しい事態の有様を記すことも誰かの参考になるのではないか」というのがブログの原点だと思い返し、気持ちにケジメをつけ、それが母の弔いになるとは思いませんが、今後につなげて行ければと思った次第であります。

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父からの電話

2021年1月22日 17:36

数日前から持病の治療で入院している妻の父から電話がありました。

「M子(妻の母)から何か連絡が入っていないか

「いや、無いけど、何かありましたか

「今日は病院に来る予定だったけど来ていないし、電話しても出ないし、気になってお隣さん(親戚)にも連絡して家の様子を見て貰うように頼んだところだ

とのこと・・・。

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状況

近場への外出時には携帯電話を持たない事がある義母なので、「夕食の買い物にでも出かけているのか」と思いつつ、病院に顔を出していない事が気にかかり、実家のお隣さんへ連絡し状況を確認すると、「家の電灯は灯っているけど施錠されていてインターホンにも応答がないから、数百メートル離れたところに住む長男の嫁さんが帰宅しているはずだから、カギを借りて入ってみる」とのこと・・・・。

17:58 

「お母さんが台所で倒れていたから救急車を手配し、これから病院へ向かう
と連絡が入りました。

普段は、母手作りの沢山の料理に囲まれて仲睦まじく食事をしている両親ですが、父の入院で一人だった母は、自分だけの少量の炒飯を作り、テーブルに置いた状態で手を付ける前に倒れてしまったようです。

前日は16時頃まで病院の父の所に居たとのことなので、病院から帰宅して夕食が18時頃だったとしたら、約24時間も経過しています。

何と申しましょうか・・・。

いつも父と二人で居て、友達が多かった母が、寒いダイニングで(温風ヒーターは3時間超過で止まっていたそうです)、一人寂しく倒れていたと思うと、胸が締め付けられるというか、不憫で不憫でいたたまれないんです。

病状

急いで病院へ駆けつけました。
病状は脳梗塞でした。

脳の血管が突然詰まり血流が途絶え脳の細胞が死んでしまう病気です。
早期に適切な治療を受けないと後遺症をきたしたり死亡してしまう可能性があります。

診断

長時間倒れていた事で、梗塞を起こした箇所を中心に壊死が広がり、左脳のほとんどがダメージを受けてしまっているということでした。

左脳にダメージを受けると右半身の麻痺、右脳の場合は左半身の麻痺が生じる事があるのですが、これだけのダメージの場合、延命したとしてもほぼ確実に植物状態になり、おそらく耳から入った言葉を認識する機能も失われているとのこと・・・。

植物状態でも呼びかけが聞こえている場合がありますが、そういう一縷の望みも叶わないということです・・・。

あとはね、どうしようもないことなのですが、延命処置をとるかどうかは家族の判断になり、担当医から「今晩中に決めてくれれば」と言われ、義弟(長男)は「今晩中に決めろと言うのならば『延命』です。」と答えました。

娘の夫である血が繋がっていない私が出しゃばる事ではありませんが、突然すぎて気持ちの整理がついていないのだから当然の答えだと思います。

教訓

母が倒れていた約24時間を、皆が後になって思うんです。

お隣さんは、「夜中に電灯が灯っていることをいつもと違うと感じたけど、まさかこんなことに・・・。」

出勤時に家の前を通る孫は、「玄関の外灯を消し忘れてると思ったけど、まさか・・・。」

近所の仲良しは、「漬物を届けに行こうと思ったけど、もう一日漬けた方が美味しいから先延ばしにしたら、まさか・・・。」

父にしてみれば、「わしが入院していなければ・・・。」

妻にしてみれば、「LINEの返信が来ないけど、疲れてるんだろうなぁ・・・。」

「自分があの時に動いていたら・・・。」

何かがいつもと違うと思いながら、行動に移さなかった自分を悔やんでみても後の祭りなわけで、助けてあげられなかった自分を責めてはいけないんです。

でも責めてしまうんです・・・。

息子と共に

コロナ禍の中、大勢が病院内へ居座ることは難しいので、妻を病院へ残し、息子と二人で運転を交代しながら自宅と病院を行ったり来たり。

息子は良縁に恵まれて、数か月後には簡単に逢えない遠距離へ引っ越すので、親子(男同士)で取り留めのない会話をしながらの真夜中のドライブをする機会は今後はないであろうことを思うと、お婆ちゃんのお陰だと思ったり、向こうへ行ったら同じように家族の皆さんを大切にしてくれるであろうと思ったり、私の頭の中は様々な思いと感情が錯綜して結構なパニック状態でした。

安らかに

それから約24時間・・・。

家族は、半ば強引に気持ちを整理し、延命治療を必要としない旨を伝えました。

意識が無くて考えることもできない脳になってしまったのかもしれませんが、頑張って自発呼吸をしている姿を見ると、目覚めそうに思えてしまうことが辛いんです。

そして・・・

1月23日 23:30

自発呼吸のチカラが衰えていき、静かに動きが止まりました・・・。
約48時間、頑張って生きようとしていたんです・・・。(涙)

1月26日

人生、色々なことがあったと思いますが、明るく楽しく生きてこられた約80年の生涯を閉じ、荼毘に付されました。

お母さん、お疲れさまでした。

安らかにお眠りください。

時系列のような日記のような、手前勝手に書き綴ったブログになってしまいました。

しんみりし過ぎてしまったので、早急に明るい話題に切り替えねばと思います。

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