8月に入り暑い暑い日々が続いております。
この暑さの中でフルフェイスを着用されているライダーさんを見ると、無条件で尊敬の念を抱く アーチビブログ の あーさん でございます。
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若さと老い
唐突ですが、漫画「キリン」の中で。
ただ あてどなく走り回っていれば それで楽しかったのに
近ごろ 理由をさがさないと走れないのはバカバカしい
と、マスター(モヒ)が呟いております。
初めて愛車を手に入れた頃、嬉しくて嬉しくて走り回っていた経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
それは、オートバイでも自動車でも、子供の頃の自転車でも同じ感覚だと思います。
私も例に漏れず、嬉しい時も悲しい時も、ムシャクシャした時は尚更に、バイクやクルマに乗る事で気持ちを発散する若者でしたが、最近は理由なく乗る事が少なくなりました。
RG50 Γ ライダー
さて、そういうバイクへの想いを含めつつ本題に入ります。
先日の夕暮れ時、クルマで走行中、キッチリと30km/h速度制限を守って走行する原付バイクを追い抜きました。
車種は「SUZUKI RG50 Γ(ガンマ)」です。
年式相応にくたびれた車体と、使い込まれたフルフェイス。
そして、油が浸み込んだ作業着のライダー。
追い抜きざまに懐かしい感情が蘇ったと申しましょうか・・・・。
「俺は、このライダーの存在を少年の頃から知っている。ずっと、これで頑張ってこられたんだ。」と、しみじみとした感情を覚えました。
説明します。
私が高校生の頃(40年近く前)、近所の工場へピカピカの原付で通勤する若者がいました。
車種は「SUZUKI RG50」
最初に紹介した水冷エンジンのガンマの前身である空冷エンジンモデルです。
その若者、全く知り合いではありません。
フルフェイスを着用されていたので顔も年齢も分かりません。
工場のオジサンに聞いた話で、中学を卒業して工場で働き始めた人という事しか知りません。
ですが、三ない運動でバイクに乗りたくても乗れなかった少年(私)にとっては羨ましい通勤風景だったので鮮明に覚えております。
1970年代後半から1990年代にかけて、高校生に「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」というスローガンを掲げた社会運動で、バイクブームに伴って増加した交通事故減少のため。
また、全国各地で増えた暴走族による危険走行や騒音抑止のため。要は、高校生を非行に走らせないための運動で、「バイクは危険な乗り物、暴走族の乗り物」といった、オートバイに対する否定的なイメージが社会に広まった悪しき運動です。
時は流れて
時は流れて、田舎に帰ってきた私は、同じ工場の駐輪場で、いつもRG50が置かれていた定位置に新型のRG50 Γ が止まっているのを見て、「あのお兄さん、新型に替えたんだ。」と思ったのが20年以上前のことだったと思います。
更に時は流れて、冒頭で述べた場面に出くわすことになります。
想像と妄想
ここからは、私の勝手な想像と妄想の世界です。
中学を卒業して直ぐに就職し、通勤の為に原付免許を取得し、選んだバイクがRG50という50ccではフルサイズのロードスポーツタイプのバイク。
その少年にとって、何処へでも行ける魔法の道具だったと思います。
また、当時の少年達にとって、50ccフルサイズバイクは憧れの的でもあり、早く社会へ出た事でヒーロー気分が味わえたかもしれません。
実際、バイクに乗りたくて高校を退学した者もいるくらいだから、三ない運動というのはバカバカしい運動だったと思います。
若くしてバイクを手に入れた後の次なる行動ですが、普通は、原付から中型、大型や四輪へとステップアップしますよね。
でも、彼の免許証はおそらくずっと原付免許のままで、通勤や買い物に便利なスクーターには目もくれず、バイクが古くなり故障が増えると同系列の新型に乗り換えて、人生のほとんどをRG50と共に過ごし、毎日毎日自宅と職場の往復を何十年も、おそらく40年くらい続け、そろそろ定年を迎えるであろう人生。
バイク遍歴で、十代の頃に購入したZⅡ(kawasaki 750 RS)に乗り続けて40年なんていう強者(つわもの)がおられますが、排気量云々ではなく彼もまた強者なんだと思います。
何で感慨深さを覚えたか?を考えてみると、私にとってのオートバイは「日常からの逃避アイテム」であるのに対し、彼にとっては「オートバイそのものが日常」である事に感動したんだと思います。
彼の生きざまを想像すると、私の「リターンライダー」や「クルマ愛車遍歴」という、読むのに疲れる超ロング記事が陳腐に思えてきます。
だって、乗らないっぱなしなんだもん!
ちなみに、なぜそんな誰も読まないかもしれない大量文字のページを作ったかといいますと、5~6ページに分けていた同じ題名のページを統一するようにGoogleさんからのアドバイスがあったからです。
井の中の蛙
それはさておき。
「井の中の蛙大海を知らず」という中国のことわざがありますよね。
「狭い世界に生きて広い世界の事を知らない」つまり「見識が狭い」という意味ですが、日本に伝わってから付け足された言葉があります。
「されど空の深さ(青さ)を知る」「されど天の高さを知る」「されど地の深さを知る」という、一つの事を突き詰めた場合の言葉です。
細部にこだわり、とことん極めようとする職人気質な日本人らしい言葉だと思います。
私が久々にこのライダーさんを見た時に感じたのが正にこの言葉です。
ある意味究極であり、私には真似できない深い生き方に何だかジーンとしちゃったんですよ。
想像ついでですが、RG50は通勤専用車で、実は自宅にはフェラーリやベンツを所有!
なんてパターンもあるかな?(笑)
だとしたら、それもまた深いですよね!
それではまたっ♪
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